とにかく一度行ってみてください! 人生観が変わりますよー!!

寄稿エッセイ:2011年 12月 21日
中村敏之 (株式会社日本ゆうちょ銀行、エコカフェ会員)

「とにかく一度行ってみてください!人生観が変わりますよー!!」

世界遺産登録された小笠原の特集番組で、タレントが口角泡を飛ばしている。

前日「小笠原ツアーにキャンセルがでたのでどうか」と声を掛けられていた私は、このタレントに背中を押されて、全く予備知識無しに "小笠原" 行きを決めた。

小笠原丸(おが丸)

9月 16日、旅慣れた同行のメンバーは、日頃の睡眠不足のつけを取り戻すように船室で休んでいる。生真面目な私の体内時計は、船が房総沖から外洋に出た段階でもきちんと仕事をしている。仕方なく一度も目を通していなかった「地球の歩き方 -小笠原-」を読む。"東洋のガラパゴス" "希少動植物の宝庫" 小笠原の魅力を伝えるそれらの言葉の意味は、この段階では私には全く理解できない。

おが丸から日の出を

翌朝 5時。デッキにでると朝日を見るために多くの船客が集まっていた。雲はあるものの台風の影響はあまり感じられない。紫色に染まった水平線の先の雲が、次第に真っ赤に焼けてくる。丸い地球を実感しながら、時間の経つのを気にすることなく太陽の行方をずっと追っていた。

11時。島影が見えてくると、早々に荷造りを済ませ下船を待つ人、出迎えのプレジャーボートに手を振る人など、船客の動きが慌しくなる。丸 1日、満を持していた人々は、みんな「いい旅にするぞ!」との決意を胸に秘めているような顔だった。

母島

清見が岡鍾乳洞

「海の島」と言われる父島で約1時間滞在し、一行を乗せたははじま丸はボニンブルーの海に白い波筋を残しながら「森の島」母島に向かう。海からそそり立つ母島は、同じ南国でも沖縄の島々とは全く様相が異なる。よそ者を受け付けないような厳しさを持ちつつ、多くの生命を懐に抱く島の姿は、まさに"母"そのもののようである。

上陸後、早速港近くの清見が岡鍾乳洞やロース記念館を見学。行く道すがら、島の子供が屈託のない笑顔で「こんにちは」と声を掛けてくれる。ガイドの茂木さんは「島の子供も固有種なんで、外来種との競争には弱いんですよね。」と笑いながら話してくれた。確かにそんな面もあるのだろうが、この笑顔は守っていってもらいたい貴重な宝物だ。

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2日目 (9月 18日)

レモンとパパイヤ
小富士山頂で
境ヶ岳から石門を眺望

朝、台風16号の影響でどんよりした雨雲が空を覆い、時折強い雨が降りつける最悪の天気。登山道や周囲の植物を傷つける恐れから予定していた石門ツアーは中止となり、母島の各地を巡るツアーに変更となった。

午前、島の生態系を脅かす存在である北村小学校跡の巨大ガジュマルや桑の木山のアカギ林を見ながら、駆除対策の途方もない島民の苦労を実感。午後からは雨もあがり、道端に実っている島レモンやパパイヤをとりながら都道最南端を目指した。目的地 "小富士" に登るには、そこからジャングルを進まなければならない。亜熱帯らしい暑さと湿気のなか、雨で粘土状になった赤土と格闘しながら、最後の力を振り絞って鉄梯子を登ると一気に視界が開けた。青く光る海に鰹鳥島が浮かんでいる。振り返ると、広く拡がる湿性高木林の先に乳房山が優美な姿を見せている。海から山へ吹きぬける風が我々の疲れを一気に癒してくれる。

「自然はこれほどまでに美しいのか…。」思わず気障な台詞をつぶやいてしまった。

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3日目 (9月 19日)

ジャングルの中で芳賀さん
オガサワラオカモノアラガイ
また来よう、小笠原

快晴。沖縄から迂回した台風15号は各地で大きな被害を与えて、本州を直撃するらしい。急遽、おが丸は 1日早く出港することになった。

朝食前、ペンションの裏手の果樹園でメグロを 3羽確認。昨日はイソヒヨドリをアカガシラカラズバトと見間違ってしまったが、今度は間違いない。「"目黒のさんま" ならぬ、メグロのサンワだな (^0^;)」オヤジギャグも調子がいい。

我々は、昨日断念した石門を一目見るべく堺ヶ岳を目指す。途中、映画ジュラシックパークで観たようなマルハチの木やグリーンペペ、固有のシダ植物、ナメクジがボタンを飲み込んだような奇怪な姿をした樹上性のカタマイマイ (オカモノアラガイ) などを観察できた。石門は、岬全体が大きなすり鉢状のくぼ地を形成している。海は、石門の石灰質が溶け込んだ乳白色と深い青のコントラストを描いている。見るもの全てが驚きを与えてくれる。

「あっと言う間だったな。」急に、日曜の夕方のような寂しさがこみ上げてきた。

父島

往きと同様に、父島での滞在は慌しかった。土産物で少し膨らんだ気がするリュックを背負いおが丸に乗り込む。私は、すっかり黒に染まっている稜線を眺めながら、3日間の経験を反芻していた。

生き物は、それぞれの居場所をみつけて、そこで「生きる」ために様々な進化を経ていた。東洋のガラパゴスと言われる意味は解ったが、まだまだ見ていないものが多すぎる。正直心残りは否めない。

デッキでは、別れを惜しむ若者が鈴なりになりながら、元気に手を振っている。

「また、来るよー!」弾む若者たちの声が風に運ばれた。

最終更新日:2012年 08月 16日
掲載/更新日:2011年12月21日 / 編集

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